恒例となりつつある、栃原岩陰遺跡フェスティバル、通称栃原ROCKフェス。
その主役である栃原岩陰遺跡(国史跡)は、縄文時代早期がもっとも活発に利用されていたと思われますが、
実は弥生時代の土器が3点、1999年の調査で出土しています(下写真)。
そこで、縄文ブームと呼ばれる今年、あえて弥生時代の問題を取り上げてみました。 テーマはずばり「山間部の弥生時代」。この分野のエキスパート、下呂市教育委員会学芸員の馬場伸一郎先生を講師に迎えて 「教えて馬場さん 山の弥生人て、なにやってたの?」というタイトルで開催することとなりました。
10月20日、当日。
講師の馬場先生は、かつては長野県にも住んでおられ、佐久地域を中心とした弥生時代の研究もされています。
基調講演の中では、その経験とこれまでになされてきた調査研究の蓄積を駆使して、水田も無くわずかな遺物しか残さなかった山岳地域の弥生遺跡が、人の埋葬地やシカの解体場所として、実は平地の大集落とも関連しながら存在した可能性を示して下さいました。
また、当日残念ながらお越しになれなかった小山岳夫先生からも、標高930mにある栃原岩陰遺跡を含む山間部の弥生遺跡が、交通や流通に必要な場所だったというご意見を頂戴しました。
考古学的にはあまり取り上げられない高冷地の弥生時代。しかし、教科書の記述では描ききれない歴史の中で、しっかりと意味を持つ場所として、存在していたのです。
私たちの地域の歴史を学ぶ意義が、また一つ具体的に見えてきました。
講演の様子。村内外から総勢60余名の方にお集まりいただきました。各地で多数のイベント開催の中、足をお運び頂き誠にありがとうございました。
また、ワークショップに用いた、弥生時代の道具(写真上・石包丁、木包丁、鉄製斧、磨製石斧)については、大阪府立弥生文化博物館から、実際に木に振り下ろした磨製石斧(写真下)は、富山県朝日町まいぶんKANから借用させて頂きました。この場にて、お礼申し上げます。
ワークショップの様子
石の斧で木を切る!
石包丁は切れ味抜群!
おまけ
おもしろ対談?山の縄文人 vs 山の弥生人。実は大学の同期である、馬場先生と当館学芸員。
途中、ついつい呼び捨てにして、すみませんでした。
(写真撮影協力・芹沢一路氏)
北相木村考古博物館
学芸員 藤森英二