栃原岩陰遺跡のお話その1 謎の骨角器

2020年4月10日

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当館も、当面の間休館となっております。思えば昨年10月の台風19号の災害によりイベントが中止となって以来、ようやくお客様も戻ってきた矢先でした。

 さて、当館の展示収蔵品のほとんどを占める栃原岩陰遺跡については、昨年冬に『栃原岩陰遺跡発掘調査報告書 第1次~第15次調査(1965~1978)』を刊行しましたが、その中からは、新しい栃原岩陰遺跡像が少しづつ見えてきています。出来ることなら、館にお越し頂くことで、それらをお伝えしていきたかったのですが、物事なかなか思うようにはいきませんね。
 そこで、先進的な博物館のようなバーチャルな体験には敵わないものの、このブログを用いて、主に栃原岩陰遺跡についてのアップデートされた情報を、少しずつ提供していければと思います。
 

 第1回目の今日は、栃原岩陰遺跡出土の謎の骨角器2点を取り上げてみましょう。

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 栃原岩陰遺跡では、研磨などの明かな加工のある動物骨(これらを骨角器と呼びます)が100点近く出土していますが、この中には用途不明のものがかなり含まれています。今回取り上げたのは、その中の2点で、写真左のものは「栃原岩陰部」Ⅰ~Ⅳ区、地表面からー460㎝のレベルで出土、左側は同区出土でレベルは不明です。区画やレベルの意味は、次回以降追々説明していきますが、少なくとも右側のものは、縄文時代早期はじめ、約11000~10700年前の物と思われます(なぜそんな年代が分かるのかは、いずれ、また)。

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 左側のもの(185-13)で長さ約8.6㎝、厚さ0.36㎝、幅0.56㎝、おそらく哺乳類(ニホンジカやイノシシの四肢骨と思われる)の骨片を磨き、片方の先端はやや鋭利に、もう片方はやや丸く仕上げ、円形の孔を開けています。さらに注目すべき点は、平坦な面と側面にギザギザあるいは斜めの直線模様を彫っていることでしょう。
 しかし上に書いたように、これらが何に使われていた物なのかも、もちろんギザギザ模様の意味も解明されていません。同じような形状で模様が無い骨角器もありますが(それらもいつかは紹介出来ればと思います)、それらとの関係も分かりません。
「なんだ、分からないことばかりじゃないか」と言われると、確かにその通りです。しかし、1万年以上も前の縄文人の残した物が、現代の私たちには分からない物であることはむしろ当たり前で、何でも知っているような考古学者に出会ったら、ぜひ用心して下さい。
 それはさておき、今後、このような例が他の遺跡でどのくらいあるか、また製作時や使用時(もし実用品であればですが)の傷などが残っているか、あるいは同じ時期の他の遺物との関係からその目的が絞り込めるかどうかなど、様々な研究を重ね、真相に迫れればと思います。
 私個人としては、模様の付いた骨角器は極少数であることを重視し、孔に紐を通したペンダントなどのアクセサリー類ではなかったかと考えていますが、今後の研究で、違う見方をするかもしれません。1万前の栃原岩陰遺跡は、まだまだ謎だらけです。
 では、次回以降も、栃原岩陰遺跡の遺物を中心に、みなさんを縄文世界に案内したいと思います。

2020年4月10日
北相木村考古博物館学芸員 藤森英二

 

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