栃原岩陰遺跡は縄文時代草創期から早期の遺跡として有名ですが、1999年10月に遺跡東側の天狗岩岩陰の調査を行い、寛永通宝、内耳土器、土師器、弥生土器(中期or後期)、縄文土器(前期及び中期)、動物の骨、黒曜石の剥片その他各種の遺物が出土しました。
わずかな面積の調査にもかかわらず、これだけのものが出土したことで、遺跡としての重要性がますます高まってきました。
この岩陰では現在も地元の方のお祭りが開かれますが、栃原岩陰遺跡は村のタイムカプセルのようです。
栃原岩陰遺跡は縄文時代草創期から早期の遺跡として有名ですが、1999年10月に遺跡東側の天狗岩岩陰の調査を行い、寛永通宝、内耳土器、土師器、弥生土器(中期or後期)、縄文土器(前期及び中期)、動物の骨、黒曜石の剥片その他各種の遺物が出土しました。
わずかな面積の調査にもかかわらず、これだけのものが出土したことで、遺跡としての重要性がますます高まってきました。
この岩陰では現在も地元の方のお祭りが開かれますが、栃原岩陰遺跡は村のタイムカプセルのようです。
1999年に調査した竪穴住居址(1号住居址)は、土器(土師器)や炭化物が出土し、約1200~1300年前のものと分かりました。 写真はこの住居址の断面を「剥ぎ取り」しているところです。
縄文前期の住居址
また、周辺のトレンチでは大量のチャートの矢尻や剥片が出土し、2000年11月の調査で縄文時代前期の住居跡(2号住居址)を発見しました。さらに2001年、2002年に追加調査を行い、この住居址をほぼ完全に発掘しました。繊維縄文土器と東海系の通称「オセンベイ土器」が出土し、約6000年前の住居と考えられます。
さらにここからは大量のチャートの石器が出土しています。縄文時代の石器工房と言えそうです。
そして現在は現地には説明板が設置され、遺物や1号住居址の断面パネルが「長者の森」森林交流センターに展示されています。是非、ご覧下さい!
長者の森での展示
(注)但し長者の森運営期間(4月末~10月末)のみになります。ご注意ください。
遺跡の内部
栃原岩陰遺跡は複数の岩陰からなっていますが、1965年から調査された部分の見学が出来るようになりました。
新たに設置した標柱と説明版
ここは博物館に展示されている縄文時代草創期から早期の遺物が大量に出土した場所です。現地注意版の指示に従って、存分に見学してください。
北相木村考古博物館の学芸員です。ここから村の文化財や考古学の情報を発信していきます。