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栃原岩陰遺跡のお話その2 小さなスクレイパー

 前回は骨角器の例を紹介しました。栃原岩陰遺跡では、骨角器を含めた様々な有機質の遺物が出土していますが、実はこのような例は、海浜部の貝塚などでは多いものの、内陸部の遺跡では珍しいものです。土が酸性である通常の遺跡では、骨などは分解されてしまい、現代までは残らないのがほとんど。その結果、縄文時代といえば、土器や石器のみが残された遺跡が多いのです。そういった意味でも、栃原岩陰遺跡は貴重な遺跡と言えます。

 ではありますが、2回目の今日は、考古学の王道の一つとも言える石器を取り上げてみました。
 一口に石器と言っても様々な道具を含みますが、今回取り上げたのは、研究者が「拇指状掻器(サム・スクレイパー)」と呼ぶ小さな石器です。その名の通り、人の親指の先端のような形をしています。厚みがある石材を用いて、急角度の加工で平面的には丸みをおびています。大きさにはばらつきもありますが、多くが2㎝程度。栃原岩陰遺跡では約70点以上出土し、そのほとんどが黒曜石製です。
 個人的には、初めて本格的に取り組んだ栃原岩陰遺跡の遺物であり、数年後には諏訪湖底の曽根遺跡でも同様の石器を分析する機会があったりと、思い出深い石器でもあります。

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 さてこれらの石器、金属顕微鏡を使った観察によれば、丸く加工した部分を刃にして、皮なめしなどに使っていたようです。また面白いのは、この石器が出土するのは、栃原岩陰遺跡でも古い時期であるが縄文時代早期前葉の表裏縄文土器期(およそ11,000から10,700年前)の層に集中していることです。栃原岩陰遺跡の場合は、遺物に出土した深さが記録されているものが多いのですが、この石器については、ほとんどが深さ400~560㎝の層からしています。そして、同じ縄文時代でも、その後はほとんんど姿を見せません。
 もし皮なめしの用途が正しければ、この時期は特に皮革製品を多く使う生活だったのか、あるいはその後、皮なめしに使う道具が変わったのか。もし前者なら、動物骨の出土量や種類、他の加工具との関係、さらには気候変動との関わり(寒い時期には皮革製品を多く使う傾向があるとも言われる)など、様々な検討課題が見えてきます。
 小さな石器ですが、多くの事を考えさせてくれる石器でもあります。

2020年4月10日
北相木村考古博物館学芸員 藤森英二

栃原岩陰遺跡マガジンVol.2PDF版公開

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『栃原岩陰遺跡マガジン』Vo2.1 PDF版
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弥生時代の栃原岩陰遺跡とは?
縄文ブームとは?
これを機会にどうぞ、ご覧ください。

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桜の季節ですが、引き続き休館です。

山深い当村も、ようやく春の訪れです。
博物館脇の桜も満開をむかえていますが、お知らせしている通り、
当館も新型コロナウイルス拡散防止のため、当面の間休館となっております。
願わくば、来年の春、皆様にこの桜をご覧いただけますことを。

当館では、ご自宅でも楽しめるコンテンツを少しづつ提供したいと思います。

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