遅くなってしまいましたが、12月9日、村では初となるオンラインによるイベント、
TOCHIBARA ROCK shelter site FESTIVAL 2020
栃原岩陰遺跡報告書刊行記念オンラインシンポジウム
「栃原岩陰遺跡の今日的意義―1万年前の土器はどんな役割を果たしたか―」
無事終了いたしました。
そもそも栃原岩陰遺跡フェスティバルは、栃原岩陰遺跡を軸に、毎年各テーマに沿った講師の先生をお招きし行ってきた講演会でしたが、昨年度は台風19号災害により中止。今年度こそは、正式な報告書が刊行された栃原岩陰遺跡について、その成果を活かしながら存分に語りたかったのですが、コロナ禍により通常の開催が困難となりました。
そこで、オンラインにて、藤山龍造(明治大学文学部)、米田 穣(東京大学総合研究博物館)、佐々木由香(東京大学総合研究博物館)の各先生をお呼びするかたちでの開催となりました。
テーマは、1万年前の土器が何に使われたのか。初期の縄文人にとって土器とはなんだったのか。各地の最新の研究を紹介しながら、各先生には栃原岩陰遺跡出土品の分析結果などから、この問題に切り込んでいただきました。
当日は40名の方にご参加いただき、一部チャットによる質問にも答えながらの展開となりました。栃原岩陰遺跡のような内陸部と海浜部との違い、縄文早期の生活の多様性など、話題は多岐に及びました。また、各先生からは、今後の研究の課題もご提示いただき、栃原岩陰遺跡のもつポテンシャルを再確認できました。
なお、当博物館は現在開館しておりますが、コロナによる移動の制限や、冬期のため交通事情も悪い場合があります。次の春以降は、栃原岩陰遺跡の遺物を見ていただきながらの開催もまた模索したいと思いますが、オンラインを利用した催しも計画中です。参加された方も未見の方も、どうぞご参加ください。
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以下、当日お答えできなかったチャットでの質問の回答です。参考にしていただければと思います。
Q 海藻は食べられていたのでしょうか?
A 海藻はリグニンのような分解しにくい成分を持たないために、遺跡では残らず、食べられていたのかどうかはわかりません。ただし、微小巻き貝の分析で持ち込みんでいることはわかるかもしれません。また、日本人の腸内細菌には、海藻を分解するのに特化した遺伝子がみられるという話があるので、縄文人の糞石のDNA分析ができれば見つかる可能性もあります。
Q 味付けという点で塩を使った痕などは現れるのでしょうか?
A 塩自体は残っていませんが、縄文時代中期後半くらいから、霞ヶ浦付近では、土器内面に海藻に付着する珪藻が残っている例があります。この珪藻の存在や、土器内面にウズマキゴカイというアマモなどの海藻につく微小貝の存在から、土器を用いて藻塩法(アマモなどの海藻を煮詰めて塩を取る方法)が行われていたと推定されています。 また縄文後期以降の東日本の太平洋側では、鹹水(海水や汽水)を熱して製塩を行ったとされる土器がみられます。
これらの塩の一部は、内陸部へ運ばれた可能性も言われています。
Q 釉薬を使っていない土器の水漏れを防ぐために意図的に土器の内側に焦げを貼るように作っていたとは考えられませんか?
A 水漏れを防ぐために魚油を加熱した可能性はあるかもしれません。そのような民族例がないか、気をつけてみる必要がありそうです。 ただし、土器の製作実験と使用実験からは、特にコゲを作らなくても水漏れを防げることがわかっています。またコゲが土器の内部全体にある例は少なく、分厚いゴケも胴部下面にあることが多いなど、特定の部位にあるので、コゲを全体に貼るように作っていた言える例がこれまでにはないようです。 また、ドングリなどのデンプン質でも、コーティング効果があるようですが、おこげが残っていない土器も多く存在します。
Q 食料以外のアスファルトとか漆などで土器が使われたかどうかは分かりませんか?
A 漆の利用には複雑な工程が必要ですが、漆の樹液を保管する容器、クロメ作業という夾雑物を取る作業に使われた土器、漆ぬりのパレットに使用された土器などが出土しています。 アスファルトは石器や骨角器の装着などに使われたようですが、保管・運搬する土器や、アスファルトを加熱・精製するために火にかけられた土器、パレットにした大型の土器片などが出土しています。 さらに、北東北地方では、漆とアスファルトを混ぜて黒色の顔料を作り出して、それを保管した土器も発見されています。また漆やアスファルトは土器の接着剤としても使われました。
この他、用途不明の土器もありますし、埋葬や炉材への転用など、食料の煮炊き以外にも土器は使われていたようです。